きょうも、シナリオ。 あしたもシナリオ。

 o.s. award の締め切りをむかえ、一応、かたちにした。 ・・とはいえ、登場人物の多さと、ストーリーの設定への手間により、読みきりにせず、全三話で済ませることにした。

終わりまで、時間さえあれば書いてまとめて審査員のみなさんに見せられるが、そうもいかない。。 
2週間にいっぽんペースと設定されているので、たっぷりとリサーチした上で、残りの部分を書いていけるとおもう。

今回の分も、できるだけ多くの人に読んでもらい、「おもしろくない!」とはっきり言ってもらう。 だが、おもしろくなくなり、これ以上読みたくなくなったところに、大きく線をひっぱってもらうことになっている。要するに、読むのに耐えられなくなったライン。 そうすることにより、全体をとおしての組み立てや、常に視聴者(シナリオでいう読者)をひきつけつつ、ディベロップされているかがはっきりと結果としてでてくる。

 ・・こういう言い訳は通じない。「・・シナリオは映像化までの途中経過で、文字を使った青写真。小説しか読んでない映像シロートに読んでもらっても、各シーンの味わいとかをイメージしながら読めやしない! わからないヤツに読ませるのは時間の無駄!」や「・・シナリオでは、ぴんとこないんだ。 映像にすれば格段にどんなにこのシナリオがおもしろいものか、きっと分からないんだ! 小説しか読めないドシロート! ・・エラそうに評論すんな!」。 一生懸命書いたひとは、きっとプライドを傷つけられたくないので、いろいろとそんな言い訳をいいたくなるのがよーく分かる。 プライドというよりは、自分自身の発想、さらには、今まで生きてきて、見てきたものへのすべての否定。 でも、それでもめげずに書き続けると、実はそういうことではなかった気がしてくるのが不思議。 

 ぼくは信じている。 花粉症やネコ・アレルギーなんかの人は、少しでもアレルギーの原因に近づいただけで、反応がとまらなくなるらしいが、きっと、これはシナリオにも言えること。 いいシナリオは、少しでも読めば次を読みたくてしょうがなくなる。 感動をしたくてしょうがなくなる。笑いを求めたくてしょうがなくなる。自分の心をいやしたくなる。泣きたくなる。 喜びたくなる。 そんなシナリオを目指して、厳しく自分のシナリオの欠点を多くのひとの評価をもとに分析する。・・これは、かなり厳しいが、これこそ本当にシナリオ、そして自主映画の質を向上させていくいい機会だ。
 撮影などの技術も大切だが、なによりも映画芸術の原点となるものはシナリオ。
ホームビデオで音処理もせず、とりっぱなした映像でも、そこに生きたシナリオがあれば、きっとすばらしい映画になる。 シナリオは技術を度返しする力をもっているはず。


 ・・いつまでシナリオを書けばいい?

 ・・月に原稿が届くまで。 
 

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